「あたらしいあさ (ちへいせんバージョン)」
ちへい せんから のぼる 朝日
ひらく せかい そっと 目覚め たたずむ
どれも 大事 小さな いっぽ
こころ のまま 風に なって とびたとう
この 宇宙を 包むくらい
愛と 光が 溢れるように
un(アン) deux(デュー) trois(トロァ) quatre(カトル) cinq(サンク) six(スィス)
この 声に
Eins(アインス) zwei(ツヴァイ) drei(ドライ) Vier( フィーア) Fünf (フュンフ) Sechs (ゼックス )
さあ わたしの あさが はじまる
(間奏)
ゆめを かなえた数だけ 自信と笑顔が 増えて Ah
足取りかるく つぎのステージへ
まぶしい せかいへ 踏みだしてみるの
un(アン) deux(デュー) trois(トロァ) quatre(カトル) cinq(サンク) six(スィス)
この こころ
Eins(アインス) zwei(ツヴァイ) drei(ドライ) Vier( フィーア) Fünf (フュンフ) Sechs (ゼックス )
この 胸に
one (ワン) two (トゥー) three (スリー)
four (フォー) five (ファイブ) six(シックス)
さあ わたしのあさが はじまる
さあ わたしのみらいが はじまる
「あたらしいあさ (一万と…バージョン)」
1万と数千回目の うまれかけてる朝日に
すこしはやく目覚めて 幼い頃の無邪気さを懐かしむの
そうここまでの足跡より この脚を誇りたいの
先のみえないまま がむしゃらにかけ抜けたりも 時にはしたけど
つまづいて転んだことも 今日のたからものになってる
昨日よりも自信を持って 一歩前に踏み出してみるの
un(アン) deux(デュー) trois(トロァ)
quatre(カトル)cinq(サンク)six(スィス)
一歩 一歩
Eins(アインス) zwei(ツヴァイ)drei(ドライ)
Vier( フィーア) Fünf (フュンフ) Sechs (ゼックス )
さあ わたしのあさが はじまる
(間奏)
ゆめをかなえた数だけ 自信と笑顔がふえて Ah
新しいゆめを追う時に それがキラキラ かがやくから
昨日より歩幅を大きく つよく前に踏み出してみるの
un(アン) deux(デュー) trois(トロァ)
quatre(カトル) cinq(サンク) six(スィス)
一歩 一歩
Eins(アインス) zwei(ツヴァイ) drei(ドライ)
Vier( フィーア) Fünf (フュンフ) Sechs (ゼックス)
その一歩 さきに
one (ワン) two (トゥー) three (スリー)
four (フォー) five (ファイブ) six (シックス)
さあ わたしのあさが はじまる
さあ 私のみらいが はじまる
「愛の羽根」
何も持たずに たたずんでいる 君のいくさき こころのままに
僕らをねらう 敵などいない この世界には
白いつばさで 風切り羽ばたけ 遠くまで行け
愛の羽根を 紡いで このときまで 繋いで
のり越えるため うまれてきたと 気付いたならば 遅くはない
愛すること ゆるすこと 感じること 信じること
飛び越すための 憧れの 向こう側を 探しに行こう まっすぐに
誰も知らない まっさらな路 空の向こうへ 自由に描く
虹をこえて 瞳閉じて 大空高く
白いつばさで 風切り羽ばたけ 知らない場所へ
愛の羽根を 紡いで このときまで 繋いで
のり越えるため うまれてきたと 気付いたならば 遅くはない
愛すること ゆるすこと 感じること 信じること
飛び越すための 憧れの 向こう側を 探しに行こう まっすぐに
強さとは厳しさで 厳しさが優しさで 優しさは正しさで 正しさは強さで
群れるなよ いさぎよく 美しく ただ したたかに 射抜け
愛の羽根を 紡いで このときまで 繋いで
のり越えるため うまれてきたと 気付いたならば 遅くはない
愛すること ゆるすこと 感じること 信じること
飛び越すための 憧れの 向こう側を 探しに行こう まっすぐに
「さくららしく/わたしらしく」
さくらの淡い黄緑色が、少しその存在を主張し始めた雨あがりの水曜日。
日はやや傾き、空を半分ほどおおった灰色の群(むら)雲の隙間から
ひかりのベクトルがカーテンのごとくふりそそいでいる。
春の光だけあり、やや暖かな西風にのってハラハラと舞う
うす桃色の花びらを透過し、その舞い落ちるさきにも
ほのかなぬくもりを届けている。
大きな遊園地に接した県道の上り坂をいくと
両脇には先週末まで人々の目を楽しませ
今では見やる人も少なくなった桜の木が等間隔に
ややすっきりとその両腕をかるくして立っている。
わずかに開いた助手席の窓から
昨日までの雨とみどりの育ちゆく香り
桜の木の合間から届くひかりと枝の影が
左ほおと肩、腕を順番に撫でていく。
桜の花が美しいのは、ほんの数日で散ってしまう
その「儚(はかな)さ」のためともいわれる。
その蕾のふくらむ様子に春のおとづれを喜び
満開に咲きほこる姿に心はずませ、
はらはらと散りゆく姿に刹那(せつな)の感情を抱く。
その桜のわずかな間の変化に、人生の縮図を重ねあわせるから
ひとは特別な思いを抱いてその花を観るのであろう。
儚いその花とは対照的に、桜の木はたくましく両腕を開き
ひかりにも嵐にも向かい合う。
一度根を張ったその場所で、しっかりと運命と向かい合う。
一年に一度、絢爛(けんらん)と咲くのもいいが
一日一輪懸命に輝くのもいい。
百年間、たくましく立ち続けるのもいいが
一日一歩着実に進むのもいい。
そして、斜交(はすか)いに向かうさきを変えてもいいんだ。
桜は桜らしくあれ。
私は私らしくあろう。
白いシャツ、新しい靴、そして笑顔。
純粋な気持ち。 ありがとう。
「しあわせのバトン」
あなたは、昨日の夕焼けを見ることができただろうか、、?
昨日、二階の窓から・・・斬新な色の夕焼けが見えた。
それは、あまりに幻想的で、写真におさめるのを忘れるほどに
衝撃的な「映像」だった。
そして、何も間に合わず、あっという間に暗闇にきえていった。
夕日は、朱色。
その上の青空であるはずの部分が深い紫
さらに上の空一面が鮮やかな緑色。
一面、緑色に染まった空の美しさに心を打たれた瞬間
あなたに見せたいという強い衝動が突き上げた。
誰かにみせたいって思うものがあること
そのものをみることができただけで感動しているのに
気持ちを共有したいとおもう相手がいて、その人を思いやれるのは
なんと幸せなことだろう。
そのことだけでも伝えたいと、そう思った。
感動する映画をみて友人にすすめたり
なにげなく意識せずにしているし
自分の好きな曲は、好きな人にも聴いてほしいとおもう。
自分が求めるのではなく、自分が満たされた上での
「与え」の状態であり、まさしく「愛」である。
そんな気持ちが、バトンリレーのように途切れなく続いたら
そして自身がその好意を素直に受け取ることができるなら
それが日常生活をずいぶん明るくしてくれるのでは
と昨日、そんなことを思っていた。
夕焼けでも、道端の小さな花でも、見たことのない虫でもいい。
それを、誰かにみせたいとおもえるひとは、あいのあるひとで
だからしあわせなのだ。
しあわせのバトンをだれかに渡せるように、ほんの少し
景色や足もとを「観る」ようにした。
誰かによろこんでほしいと思っているだけで、今日こうして
澄んだ五月晴れがひろがっている。
大切なあなたに。 あなたの大切な誰かにも。